VOL.9 澤登 恭子さん

VOL.9 澤登 恭子さん

2020年度山口県芸術文化振興奨励賞を受賞された澤登恭子さんにインタビューしました。
作品制作や山口県での思い出等、さまざまなことをお話いただきました!

画像:澤登 恭子近影

- 澤登恭子さんのプロフィール -

神奈川県生まれ。現代美術家として、ライブパフォーマンスや映像、インスタレーション作品など、国内外のアートイベントに精力的に発表している。女性の内在する力を主要なテーマとした作品への評価は高く、今後の活躍が期待される。

山口県芸術文化振興奨励賞を受賞して

Q:受賞の感想をお聞かせください。
A:受賞が決まった時は少し信じられない気持ちでしたが、徐々に喜びに変わっていきました。でもここで慢心せず、これから更に精進していかなくてはと良い緊張感を感じております。

芸術への考え、作品制作について

Q:どうして現代美術の道に進もうと思ったのでしょうか。
A:非常に美術の好きな父の影響で、子どもの頃からよく色々な美術館や博物館に連れていかれました。大学では油画科に入り様々な先生のゼミを受けました。その中で「もの派」(※1)のアーティストである榎倉 康二(えのくら こうじ)(※2)先生のゼミを受けた時に、『一分間で自分を語る』それも映像で語りなさいという課題がありました。その時、初めて自分で映像を撮って表現することにチャレンジしました。今はスマホで簡単にいつでも動画を撮影できますが、当時、動画撮影は今ほど日常的ではない中で、この課題で「映像」に触れたことで、自分の学んでいた「絵画」は表現方法の1つであって、まだ他にも様々な表現があり、自分にもそれができるのだと気づくことができました。そこに風通しの良さを感じたのが、現在の現代美術の表現を模索してゆく第一歩になったと思います。
※1 もの派:1960年代から1970年代初頭、土、石、木、鉄などの素材をあまり手を加えずに展示した立体作品が多く現れ、それらを手掛けた作家たちを指して使われた名称。
※2 榎倉康二:1960年代から1970年代にかけて台頭した「もの派」の作家。
Q:「女性の性」をテーマに作品を作られているきっかけは何ですか。
A:私は大学まである中高一貫のカソリックの女子校で育ちました。中学に入学して初めてカソリックの教義を学び、その中で語られている女性像と、実際の自分が見て感じているリアルな女性との違いに非常に大きなカルチャーショックを受け、当時の私の中にはそれが未消化のまま大きな疑問となって残りました。そこで感じた疑問は、私個人の範囲を超えて女性の存在そのものについて深く考えさせるものでした。またもう一つは、10代をほぼ女性のみで男性の目線をあまり気にせず、日々自由に過ごしてきた中で、ある日ふと、どうして世の中は男性と女性に分かれているのかと不思議に思うことがありました。女性のみの中で学ぶ自分はとても偏った世界にいるとも感じました。その後東京藝術大学へ進学したすぐ後は、念願の男女共学になったにも関わらず、今度は男性の視線に居心地の悪さを感じるようになりました。自分の呑気で気ままな動きと相手の捉え方の齟齬(そご)に悩んでいるときに、私の中で10代のころから未消化のままだった女性としての性を再び深く考えるようになりました。それが最初に注目された「Honey,Beauty and Tasty」の作品に行き着くきっかけの一つとなり、それ以降、中学・高校で触れた旧約聖書の中の話がインスピレーションの元となって、女性性について問いを持つ作品に発展して行きました。
Q:パフォーマンスをする時は、どんなことを考えていますか。
A:デビューから現在まで不定期で行っているライブパフォーマンス「Honey,Beauty and Tasty」の場合、ライブ中は、音を流しながら蜂蜜も垂れています。レコードの上にどんどん蜂蜜が増えていきますし、音がクラッシュして途中で止まってはライブがしらけてしまいます。そのため、音がとまらないように蜂蜜のコンディションや、物理的なことを結構注意してやっています。見ている方たちからは、「なにか突き進む怖い気持ちを感じた」とか、「セクシーに見せようとしていたのか」、とよく聞かれるのですが、そういった演出よりも、どうやって完璧に遂行するかを重点的に考えている状態です。でも、その状況でありながらも見る側にそうでないまるで正反対のものを感じると言われるのは、見せる側と見ている側との齟齬を、作品として敢えて生じさせる作品だからだと思います。


『Honey,Beauty and Tasty』 制作2000年〜

Q:ご自身が一番好きな作品あるいは思い入れの強い作品は何でしょうか。
A:どの作品にも思い入れはありますが、『春の嵐』という作品があり、これは作品の持つ意味合いが最初に発表した当時と、時代背景や展示場所が変わったことによりまた違った意味を持って変化していきました。そういった意味では、この作品には強い思い入れがあります。この作品は、ピンクに色付けした蝋を溶かし、そこに指を着けて固まった蝋をはがし、花びらのような指型を作ります。その指型を沢山作って部屋中に広げると、桜の花びらが窓の外から風と共に入ってきて部屋に撒き散らされたかのように見えます。最初、私はこの作品に『散華(さんげ)』というタイトルをつけ、死を悼むイメージでその作品を制作していました。9.11の同時多発テロのすぐ後で、世界中が大きな衝撃を受けたときでした。個人的には私を可愛がってくれた祖母が他界したことなどもあり、1枚1枚の蝋の花びらを鎮魂の祈りとして表現し、花びらの展示方法も、風に撒き散らされたというよりは、静かに置かれているように展示していました。でも時を経て、2017年に宇部市の渡辺翁記念会館で開催された第二回宇部現代美術展に参加した際、会議室で私の作品を展示することが決まった時、そこに新たな化学変化が起こりました。私は花びら一枚一枚に、女性達が新たな時代を押し開いてゆく意味を込めようと考えたのです。初めて記念館を見た時、蓄積された時間の重さと創設者である渡辺翁の力を感じました。当時その会議室を使っていたのは地位と権力のある男性だけだったのではないかと思うのですが、今は女性が多様な形で才能を生かしたりリーダーシップをとっている時代です。そんな女性達の社会進出や生命力を表した花びらが、男性の権力の象徴のような会議室の中へ突然、春の嵐のように吹き込んできた状況をインスタレーションすることで、新しい時代の嵐を巻き起こす女性の力を表現したいと思いました。

山口県の印象

Q:山口県にはどのような印象がありますか。
A:山口県は、私にインスピレーションを与えてくれる風景がたくさんある場所だと思っています。一の坂川では、たくさんの蛍を間近で見られて驚きましたし、とても幻想的でした。萩市の菊ヶ浜は、透き通っていて本当にきれいな海でしたし、透明なクラゲが浜に打ち上げられているのを見た時は、一つの作品のようにも見えました。他にも、ホルンフェルスなど美しくてミステリアスな風景が山口にはたくさんあります。私の想像力がかきたてられるそれらの風景を自分の作品の中で思う存分に生かし、さらに表現の幅を広げ、多くの人に見てもらいたいと思います。
Q:これから、山口県内で作品を作ってみたい場所はありますか。
A:山口県旧議会議事堂の隣にある県政資料館で撮影してみたいと思っています。確か以前映画の撮影にも使用されていました。本当に美しくて、良い感じで古びたままの姿が残っていて、あそこは是非映像で作品として残せたらと思っています。

若手アーティストに向けて

Q:若手アーティストに一言アドバイスや応援メッセージをお願いします。
A:皆、既に頑張っていると思うので、わたしから言うことは特にないかもしれませんが、敢えて挙げるとすれば、当たり前のことかもしれませんが作家活動を続けてゆく粘り強さが大切なのかと思います。
長いスパンで見て行かないと結果が見えてこないこともあります。すぐに結果に表れなくてもそこで放り出さず、外野からよく分からないことを言われても、自分自身を信じていくことが大切じゃないかと思います。私も過去にはこれでいいのかな、辞めようかなと思った瞬間は何回かあります。でも私の場合、不思議とそういう時に限って新たに興味深い展覧会のオファーが来ることがあります。そんな時は、「くじけずに頑張りなさい」というメッセージだと受け止めて、また全力で展覧会に臨みます。そうすることで、また何か次に繋がってゆくのだと思います。結果をすぐに求めすぎず、ポジティブに自分を信じること、チャンスが来たら直ぐに掴む瞬発力が、続けていく上で大切だと私は考えています。チャンスはいつ訪れるかわからないですが、続けていないとやってきませんから。

(インタビューに際しては、新型コロナウイルス感染症対策を行い、実施しました。)

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